趣味の玩具箱(レトロゲーム)
FC(ファミコン)が発売されたのは、私が高校生の時でした。高校時代は部活動に勤しんでいたため、それほどゲームには熱中していませんでした。それが、大学生になり一人暮らしを始めると一変しました。現代ではたくさんの娯楽が存在しますし、趣味・嗜好も人それぞれですが、あの当時、酒やパチンコに興味が無かった私にとって、娯楽と言えばFCぐらいしか選択肢がありませんでした。
ここでは、昭和末期から平成初期にかけて、私が寝食を忘れて熱中したゲームをご紹介します。
駄文その1
[全てはここから始まりました]
ドラゴンクエストⅡ

1987年(昭和62年)、私が大学1年生の時でした。同じ学生寮に住んでいた仲の良い先輩が、ファミコンの本体を購入しました。その先輩がサークル活動のために帰ってくるのが遅かったため、私は先輩が戻られるまでの間、ファミコンとソフトを借りて遊ぶことができました。それが、私にとって初めてのRPG体験となる「ドラクエⅡ」との出会いでした。経験値を得てレベルを上げ、お金を貯めて上位の武器や防具を買い、難度の高い冒険に繰り出していく・・・・。すっかりこのゲームに嵌ってしまった私は、若かったこともあり、徹夜してレベルアップに励んだものでした。そして遂に、借りていた先輩よりも早くこのゲームをクリアするという、今から思うと非常に気まずい結果となりました(笑)。このゲームをプレイされた方はご記憶のことと思いますが、当時のデータセーブは、「無茶苦茶長いパスワード」方式でありました。ドットの解像度も低く、一文字でも間違えると、無情にもそれまでの冒険が無かったことにされてしまうという、極めてリスクの高いセーブ方式でした。私も、何人の勇者を失ってきたことか・・・(涙)。このゲームをクリアしてから数か月後、私もファミコンの本体を購入してしまい、大学卒業までゲームの沼にどっぷりと浸かることになるのでした。
駄文その2
[夢のバックアップ方式]
ファイナルファンタジーⅠ

上記の「ドラクエⅡ」で、すっかりRPGの面白さに嵌ってしまった私は、当時まだメジャーではなかった「ファイナルファタジー」なるゲームを購入してみることにしました。これは、プレイヤーを横から見る視点が独特でした。そして何より、データセーブの方式が、「バッテリーバックアップ方式」という、パスワード不要の方式だったのです。あの「ドラクエⅡ」で何人もの勇者を失ってきた私にとっては、正に夢のような話でした。ゲームの設定も、BGMも良く、連日熱中してプレイしていました。ただ、当時のバッテリーバックアップは、まだまだ不安定な精度で、このゲームにおいても、「一瞬にしてデータを失う」という悪夢を経験したのでした。それにしても、「ドラクエ」も「ファイナルファンタジー」も、その後シリーズが続き、現在(2025年)もなお高い人気を誇るようになろうとは、当時は予想もできませんでした。
シナリオを糸井重里、音楽を鈴木慶一が担当したゲームで、私の大学時代の思い出と強く結びついているゲームです。実は当時、「ドラクエⅣ」が発売延期になってしまい、言わば「繋ぎ」として購入しただけの、さほど期待していなかったゲームなのでした。ところが、いざプレイしてみると、その世界観や音楽の良さにグイグイと引き込まれてしまい、ゲーム好きの友人たちに「マザーは凄いぞ」と勧めて回るほどでした。「エンディングまで泣くんじゃない」とは、このゲームの広告・CMのキャッチコピーですが、なるほどぴったりだと感心したのを覚えています。このゲームの音楽に魅了された私は、サウンドトラックも買い求めました。そして、間隔は空いてしまうのですが、続編となる「マザー2」・「マザー3」もプレイし、やはりその世界観と音楽に魅了されたのでした。